本田宗一郎の書籍を徹底紹介します。





本田宗一郎と井深大―ホンダとソニー、夢と創造の原点 |板谷 敏弘 /益田 茂

本田宗一郎と井深大―ホンダとソニー、夢と創造の原点本田宗一郎と井深大―ホンダとソニー、夢と創造の原点
板谷 敏弘 /益田 茂
朝日新聞社 刊
発売日 2002-09
価格:¥1,470(税込)




挑戦者本田宗一郎と井深大 2002-12-27
現在好調な業績である、本田技研工業の創業者、本田宗一郎と、ソニー株式会社の創業者、井深大は、共に挑戦者であるという共通点がある。この著書はそれを読み取ることが出来、お勧めである。絶えず挑戦することが成功への原点である。私は実際江戸東京博物館(東京都墨田区)で開催された「本田宗一郎と井深大展」を訪問した。やはり書籍で読むよりも、実際に歴史的商品を見ることが重要であることが分かった。出来ることなら書籍を読むのみならず、実際に実物大の商品を見学することをお勧めする。長引く不況で自信を失いかけている日本人に、自信を取り戻させ、挑戦させる上で、是非読んでいただきたい書籍である。文字だけの書籍が多い中、写真が多く、見て楽しむことが出来るという特徴がある。とに?!??!!く経営学の貴重資料となることは間違いない。


■続きを読む


この記事は2006/7/17に作成しました。

[PR]iPod

【本田宗一郎の経歴】
1906年 生まれ。

1922年 高等小学校卒業後、自動車修理工場「アート商会」に入社。

1928年 アート商会から暖簾分けの形で浜松市に支店を設立して独立。宗一郎ただ一人だけが暖簾分けを許される。

1935年 磯部さちと結婚。

1937年 自動車修理工場の事業を順調に拡大させ、「東海精機工業」(現・東海精機)の社長に就任。「アートピストンリング研究所」を浜松市山下町に設立してピストンリング開発に取り組むも、うまくいかず。浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の聴講生となり、金属の研究をする。

1939年 アート商会浜松支店を従業員に譲渡し、ピストンリング製造を手がける「東海精機重工業」を興し、自動車部品製造に乗り出す。

1942年 東海精機重工業がトヨタから出資を受け、石田退三を社長に迎え、自らは専務に退く。

1945年 三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒産。自らの持つ東海精機重工業の株を全て豊田自動織機に売却して同社を退社、「人間休業」と称して1年間の休養に入る。

1946年 本田技術研究所設立。39歳の宗一郎は所長に就任。

1948年 本田技研工業株式会社を設立。資本金100万、従業員20人で二輪車の研究をはじめる。

1949年 藤沢武夫と出会う。

1973年 本田技研工業社長を退き、取締役最高顧問に就任。

1974年 さち夫人とともに世界中の関係者を訪問。

1983年 取締役も退き、終身最高顧問となる。

1989年 日本人として初めてアメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たす。

1991年 84歳で死去。


あの神田昌典さんの超人気CDがもらえる、フォレスト出版リーダーズクラブはこちら