本田宗一郎の書籍を徹底紹介します。





「ニワトリを殺すな」 ケビン・D・ワン

ニワトリを殺すな
ニワトリを殺すな
posted with amazlet on 06.11.26
ケビン・D. ワン Kevin D. Wang 高橋 裕ニ
幻冬舎
売り上げランキング: 162902
おすすめ度の平均: 4.0
4 殺す側の人にこそ読んで欲しい
4 前向きな気分にさせられます
3 簡単に読めて、いい話。
とにかくだ、会社を辞める時には『みなさんのおかげで大過なく過ごすことができました』というような馬鹿な挨拶をしないでもらいたいと思っているよ。ニワトリを殺すな」 ケビン・D・ワン ------------------------------------------------------------------ ●この言葉の前には「若いうちの失敗なんてたいしたことはない」とあり、そして、そのあとには、「『俺は色々失敗もしたが、だけど、こんな大きな仕事もした』と誇れるような生き方、こんな生き方をみんなにしてもらいたいと思っている。」と続きます。 ●実はこの本は、ホンダの創業者、本田宗一郎をモデルにしているので、これらは本田宗一郎の言葉なんですね。やはり本田さんはすごい人だったのです。これから、本田さん関係の本を少し手配してみます。 ●この本で共感したところは次のとおりです。 ・人を責めるのではなく、問題の解決に集中して議論している ・若い頃から、消極的で保守的な考え方をしてセコセコ生きてきた人間が、年をとって責任ある地位についてから失敗すると、これはまずい。今度は会社が本当に危なくなってしまう。 ・失敗をおかした原因を追求して反省し、二度と同じ失敗をしないようにすることが肝要 ・自分をベテランだと思った瞬間から没落は始まる ・時間はね・・・・・・時間だけはね、神様が人間に平等に与えてくれたものなんだよ 「ニワトリを殺すな」 ケビン・D・ワン

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読んでいただきありがとうございました!

【本田宗一郎の経歴】
1906年 生まれ。

1922年 高等小学校卒業後、自動車修理工場「アート商会」に入社。

1928年 アート商会から暖簾分けの形で浜松市に支店を設立して独立。宗一郎ただ一人だけが暖簾分けを許される。

1935年 磯部さちと結婚。

1937年 自動車修理工場の事業を順調に拡大させ、「東海精機工業」(現・東海精機)の社長に就任。「アートピストンリング研究所」を浜松市山下町に設立してピストンリング開発に取り組むも、うまくいかず。浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の聴講生となり、金属の研究をする。

1939年 アート商会浜松支店を従業員に譲渡し、ピストンリング製造を手がける「東海精機重工業」を興し、自動車部品製造に乗り出す。

1942年 東海精機重工業がトヨタから出資を受け、石田退三を社長に迎え、自らは専務に退く。

1945年 三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒産。自らの持つ東海精機重工業の株を全て豊田自動織機に売却して同社を退社、「人間休業」と称して1年間の休養に入る。

1946年 本田技術研究所設立。39歳の宗一郎は所長に就任。

1948年 本田技研工業株式会社を設立。資本金100万、従業員20人で二輪車の研究をはじめる。

1949年 藤沢武夫と出会う。

1973年 本田技研工業社長を退き、取締役最高顧問に就任。

1974年 さち夫人とともに世界中の関係者を訪問。

1983年 取締役も退き、終身最高顧問となる。

1989年 日本人として初めてアメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たす。

1991年 84歳で死去。


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