本田宗一郎の書籍を徹底紹介します。





得手に帆あげて―エキサイティングホンダゴロク |本田 宗一郎

得手に帆あげて
得手に帆あげて
posted with amazlet on 07.01.08
本田 宗一郎
三笠書房
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おすすめ度の平均: 4.0
4 「ホンダイズム」とは何か?


身のまわりにいくらでも転がっている幸福から、自分のものを選び出し、それを最高のものに高めることだね。

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●以前、ある本で次のような話が書いてありました。それは、農場を持っている人が、ゴールドラッシュを見て自分も一儲けしようと、農場を売り金鉱脈を探しに行きます。その人は鉱脈の発見に失敗するのですが、実は農場の下に鉱脈があったという話です。


●それは何を伝えたかったかといいますと、人間、会社というものは、自分ではわからないかもしれませんが、必ず何か得意なものを持っているわけです。しかし、社会には、成功している人がたくさんいて、それが羨ましくなることがあります。そして、それに手を出してしまう人がいます。


●もちろん、そうして周りの人と同じように成功する人もたくさんおられるのでしょうが、自分の得意分野と違う畑を掘ってもうまくいく可能性は低いのです。まずは、自分の庭を深く掘り下げて、そこに成功、幸福を探すことが、まず第一に考えるべきことだと思うのです。


●この本で私が共感したところは次のとおりです。


・社長をやってたときは、カネ儲けが財産だと思ってたけど、結局、友だちこそほんとの財産だなあ。


・人間にとっては行動がすべてであり、
メーカーにとっては製品がすべてである


・現代は「教育の時代」という人もいるが、私は「努力の時代」だと思う。努力すればそれなりに報いられる時代なのである。


・「知る教育」から「試す教育」への一八○度の軌道修正が必要なのである。


●最近、本田宗一郎の本を収集しています。だんだん分かってきたことは、宗一郎氏の「車が好き!」という情熱が組織に大きな影響を与えているということです。これこそホンダDNAなのかもしれません。さらに、トップ自身が、自分でやってみろ!失敗してもいいじゃないか!という考えですから、官僚主義がはびこるはずもありません。ホンダがここまで大きくなったのも必然といえるでしょう。


得手に帆あげて」本田 宗一郎、三笠書房

【本田宗一郎の経歴】
1906年 生まれ。

1922年 高等小学校卒業後、自動車修理工場「アート商会」に入社。

1928年 アート商会から暖簾分けの形で浜松市に支店を設立して独立。宗一郎ただ一人だけが暖簾分けを許される。

1935年 磯部さちと結婚。

1937年 自動車修理工場の事業を順調に拡大させ、「東海精機工業」(現・東海精機)の社長に就任。「アートピストンリング研究所」を浜松市山下町に設立してピストンリング開発に取り組むも、うまくいかず。浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の聴講生となり、金属の研究をする。

1939年 アート商会浜松支店を従業員に譲渡し、ピストンリング製造を手がける「東海精機重工業」を興し、自動車部品製造に乗り出す。

1942年 東海精機重工業がトヨタから出資を受け、石田退三を社長に迎え、自らは専務に退く。

1945年 三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒産。自らの持つ東海精機重工業の株を全て豊田自動織機に売却して同社を退社、「人間休業」と称して1年間の休養に入る。

1946年 本田技術研究所設立。39歳の宗一郎は所長に就任。

1948年 本田技研工業株式会社を設立。資本金100万、従業員20人で二輪車の研究をはじめる。

1949年 藤沢武夫と出会う。

1973年 本田技研工業社長を退き、取締役最高顧問に就任。

1974年 さち夫人とともに世界中の関係者を訪問。

1983年 取締役も退き、終身最高顧問となる。

1989年 日本人として初めてアメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たす。

1991年 84歳で死去。


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