本田宗一郎の書籍を徹底紹介します。





わが友・本田宗一郎 |井深 大

わが友 本田宗一郎
わが友 本田宗一郎
posted with amazlet on 06.02.08
井深 大
文藝春秋 (1995/03)
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おすすめ度の平均: 4
4 失敗なんてへっちゃら、ってすごいなぁ。


私は組織というのは反対で、組織は仕事の邪魔をするものである、というのが私の考え方です。まず仕事が最初にきて、その仕事を誰にさせたらいいのか、ということで決まるんです。組織があってやるのは役所仕事ですよ。


わが友 本田宗一郎」 井深 大


●「その仕事を誰にさせたらいいのか」という視点で人事をすると、やらせたい人がいても、職級がたりなくて抜擢できない場合があります。


●これこそ、組織が仕事の邪魔をしているのであり、役所仕事たるゆえんでしょう。


●日本では、能力のある人を参謀としてトップを補佐させるという形でこれを乗り切ってきたのですが、もっとよい方法はあるのでしょうか。(私にはわかりません。こういう方法がある!とご意見のある方は教えていただけませんか。)

【本田宗一郎の経歴】
1906年 生まれ。

1922年 高等小学校卒業後、自動車修理工場「アート商会」に入社。

1928年 アート商会から暖簾分けの形で浜松市に支店を設立して独立。宗一郎ただ一人だけが暖簾分けを許される。

1935年 磯部さちと結婚。

1937年 自動車修理工場の事業を順調に拡大させ、「東海精機工業」(現・東海精機)の社長に就任。「アートピストンリング研究所」を浜松市山下町に設立してピストンリング開発に取り組むも、うまくいかず。浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の聴講生となり、金属の研究をする。

1939年 アート商会浜松支店を従業員に譲渡し、ピストンリング製造を手がける「東海精機重工業」を興し、自動車部品製造に乗り出す。

1942年 東海精機重工業がトヨタから出資を受け、石田退三を社長に迎え、自らは専務に退く。

1945年 三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒産。自らの持つ東海精機重工業の株を全て豊田自動織機に売却して同社を退社、「人間休業」と称して1年間の休養に入る。

1946年 本田技術研究所設立。39歳の宗一郎は所長に就任。

1948年 本田技研工業株式会社を設立。資本金100万、従業員20人で二輪車の研究をはじめる。

1949年 藤沢武夫と出会う。

1973年 本田技研工業社長を退き、取締役最高顧問に就任。

1974年 さち夫人とともに世界中の関係者を訪問。

1983年 取締役も退き、終身最高顧問となる。

1989年 日本人として初めてアメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たす。

1991年 84歳で死去。


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